我慢とか本当無理
私はいくら我慢しようがいいんですよ。真面目に取り組む方だし、面倒だなぁと思ったら面倒だって言って投げちゃうし。
問題なのは、他人に我慢させるってところです。そうゆうのって無意識にやっちゃってるみたいで、先ほどその告白をされてショックなわけです。いっきに覚めるし冷める。
さっと消えるでありますっ
クリードから学ぶ
さっき「クリード チャンプを継ぐ男」を観ました。
肩にタオルかけて涙ふくの大変な映画でした。注意★最後にネタバレ書いてます。
この映画を観て、よくゆう「相手を許す」という言葉の意味を分かりました。
相手を恨んで苦しいのは自分です、相手にとったらへでもないのです。相手を許す事が自分への解放に繋がるのですねぇ。でも、「なんでむかついてんのに許さないといけないわけ?!」となりますね。「許す」というのは「あなたのやったことを受け入れましょう、理由があったもんね…」や「しょうがない、無かったことにする」とか相手より精神高めてその位置で平伏す感じだと「無理して納得」しただけで、「許す」とは違うんですよ。本当の「許す」というのは、ただ自分と向き合うだけだと思いました。自分に目を向ける、しっかりと自分の肩を掴み目を合わせること、自分を大切にする、それだけ。映画の中でも鏡を見つめるシーンがありましたね。スポコンでありがちなやつです。まあ今の私が気づいたことだけであり、この先色々な出来事や違う解釈で考えも変わると思うけど忘れないように。私の考えが今のとこ正だとすると世間でまわってる「相手を許す」ってゆう一文だけでは、説明不足過ぎだよなぁ。もっと早く知ってもよかったなぁ。(理解力が乏しいー)
最後にネタバレって言うか、好きなとこ。
「止めないでくれ、証明する」
「何を?」
「俺は"過ち"じゃない」
しびれ~!
甘えたいしほめられたい
人付き合いも、絵の練習も、生活もみんな、丁寧にやらないとなにかを獲得できないものです。
小3のころ「宇津算数ババア」とう名の担任がいて、それはもう算数に命かけた先生で回答間違えると竹の1m物差しで手の甲をビターンと叩き、旧校舎をいいことに教室でタバコをスパスパ吸う子供には悪くて怖い女の大人がいたわけです。その恐怖の算数の時間に自分の机から見た教室の正面を黒板をいれて一点透視法で描き、自分ではなかなかの出来だったので血迷って宇津先生に授業後に見せたわけです。見せ説明してる最中に気づくわけです、サボってたわけだから「ぼこぼこにされるかもなぁ…」と。そしたら、「よく描けてる。これは貰う」といい先生の机に張ってあるビニールの下に入れてくれたのです。私はびっくりして嬉しくてニコニコしちゃって、先生も怒る言葉一つなくタバコに火をつけて。あの時の埃っぽくて熱い日差しを今でも覚えてます。思い起こせば、この出来事が誉められて心から嬉しいと感じたし絵を描くきっかけになった。もちろん、それ以降大人になるにつれ、誉められても心から喜んだことはない。大体の人の反応は「ふーん」で終り。他人を誉めていれば自分に返ってくると思ったけど、それも相手を満足させて終わる。いつか還ってこないのである。
最後はちゃんとやるから、それまでの焦る気持ちを私ではない誰かが癒してくれたり、紛らわしてくれないかなぁ~。甘えたいなぁ~。
サッポロ一番塩ラーメンの美味しさが今のわたしを癒してくれるだけよ。うめ~。
海外
今年と来年に行きたい国がある。イギリスと、フランスから上の北欧の国、そしてアメリカのニューヨークとハワイ。
イギリスは勉強しに3ヶ月行けたら最高。
フランスから北欧は、そのついでに観光できればいいなあ。ニューヨークは行きたいコンベンションがあるので、観光に行きたい。ハワイは行ったことないから行きたい。マグマを見てみたい。
「オリエント急行殺人事件」を読んでいまして、冒頭にアガサ の親族が作品が出た当時の「列車の旅」について語っています。昔は長距離を長い時間、同じ列車で過ごすというのは、色々な人種がたくさんの個々目的を持ち階級関係なく(車両によってあるけど)旅はみちずれとり、食堂で隣り合った同士で生まれる新たな友情や関係、発見などがある冒険的空間だったらしいです。列車強盗もあるし、作中でもあるように大雪に見合われ止っちゃったり死とも隣合わせの危険な旅でもあったわけです。現代では隣の人がマナーさえ守ってくれれば存在なんてどうも気にしませんが、この話を読んで私は憧れます。人の話、聞くの好きだからな~。楽しそうじゃないですか。
私が海外旅行が好きなのは話を聞きに行きたいんだと思うのです。「日本で良くない?」ってそりゃそうなんですけど、色々感じて知ったほうが、より人の話って面白いわけですよ。下ネタの知識と似ているな~。
22:50 地下鉄にて
シラフでこの時間帯以降の電車に乗って、まわりを見渡すとなんだか自分がとても真っ当な人間に思えて凄く心が落ち着く~
終電にシラフ乗車なんかは、もう優越感。
唯一自分を心から愛せる瞬間が、それ。
せわしな~
疲れたのでお汁粉が食べたい~
コーヒーショップ
コーヒー好きですか?私はブラックコーヒーが好きです。
コーヒーとか紅茶とか大人になって飲む人って、親の影響があるらしいですよ。
ファミマと私
さて。最近はもっぱら家でカルディや成城石井とかソレっぽいところで、ちょっと高いコーヒーを買ってウチでドボドボ、ドリップしております。
好みがあると思うのですが、私は王道コーヒーである深入りのモカが好きなのです。
ふとその「美味しいコーヒーが飲みたいなあ~(ほどほどの値段で、一人で、気兼ねなく…)」と思うわけです。ですがあまりナイスなコーヒーショップって無いんですよ。
・コンビニのコーヒー(セブン、ファミマ、ローソン)
→飲みやすくて美味しい。朝向けってかんじー。
→水に薄めたコーヒーのごとく、私は薄すぎて好きじゃない。とある人が言うには、あれ系のショップは、それをベースとして混ぜて色々なメニューを作るため引き算してあのテイストになっているらしい。とのこと。
・おしゃれなコーヒーショップ(清澄白河や原宿、京島の裏路地などにある)
→私の好みを伝えて、オススメを出してもらうも毎回「んー…」ってなるわけです。そう、一ひねり加えている豆を使ってるからですね。「すこしチョコレートぽい香りがします。」「柑橘のようなさわやかさ…」など私のようなオンチには分らないのです。詳しい人がいても、なかなか、なのですね。
美味しいコーヒーを飲むには、落ち着いた場所が必須なわけです。もちろん店内、テイクアウトもそうですが、ひっそり一人で味わいたいものです。
で結局家で飲むコーヒーか、麹町カフェのコーヒーしかないのです。こんだけショップに難癖つけておきながら、たいしたコーヒーマニアでもないのですが生きづらい時はたまにはこうやって声に出してもいいと思うんです。
もっと出先で身近にあれば嬉しいんですけどねえ。この時期は上野動物園のテーブルがたくさん並んでるデッキで水辺の鳥の糞に怯えつつ、ホットコーヒーを飲んで季節に浸りましょう~。そのアト、冬の旧岩崎邸もいいですね~。昭和とかそこらへん好きなんですよ~。根津まで行っておしゃれなコーヒーショップには行かないんだよなあ。
エレカシ
去年のサマソニでエレカシを見てから、すっかり心はエレファントカシマシ ラブ。
それから、「エレカシとは、」「エレカシと私。」を音楽を聴くたびに考えたので半年ちょっと経ち答えがでた。
まず、宮本浩次氏がかっこいい。
この写真はハンニバルのウィルっぽい
それまでは、いわゆるTVで拝見する、言わずもがななイメージだったのですが、ライブを見て音楽聴いていると「こんなに生きている人はいない!」っていう人間らしさを感じましたワ。「生きてる人」をちゃんと見た感じがした。そうなると、大体の人間は死んでる。私含めて全員死んでました。死んでるくせに生きてる分際なんですよ。私らは。「こんなんじゃダメだなあ」と思わせてくれました。だから好き。顔面もかっこいい。
そんでもって、「エレカシの音楽の良さ」ですが私はこれに気づけて本当に良かった。アルバムとか聞くまで「今宵の月のように」「桜の花、舞い上がる道を」のサビしか知らず、勝手なイメージとしては「最後には君と結婚しよう(グッドエンド)」とか「仲間って最高!大切!!」と、冒頭のサビにせちがらい感じだけど結局ポジティブな(バンド)んだろうなあと思ってたら、そうじゃない。
そうじゃないと思ったのは、そのサマソニのライブで「デーデ」という曲の歌詞を聴いて「ひええー」と思った。サマソニは新客をつかむフェスなところで「金!金!!」と連呼する曲を選曲すんのかいというところにシビれた。ぜんぜんJPOPじゃない、ロックというかパンク。
そして音楽の良さというのが、歌詞について私なりの共通点を見つけたのです。それは私が聞いた中で好きな曲の中からの共通点かもしれない。
それは、ぜんぜん相手のために歌ってない。全部自分へ歌っている。という感じ。そこが凄くいい。大体の曲は、「あなたあなた」とうるさいわけですが、エレカシは「自分」を歌っているんですよ。
だから聞いた人は、それを「自分」って思い込むことが出来るんですよね。これぞ音楽の力って感じます。ウーン、本物。
宮本氏の声や技術、バンドの音楽も全て合わさって聴いてて、だから気持ちいいんですよね。新しい音楽の聴き方を私は知れて良かったです。エレカシ限定です。
まあそんなわけでファンになったはいいものの、「ライブにいこー!」と思ったら、ほぼソールドアウトなわけです。生き地獄。