感情を味わう

昼間にガジェ通の記事で、ツイッターネタが上がっていた。内容は敢えて書かない。

私はその記事を見て、「いじわるだなぁ」と思った。すごくいじわるだなぁと思ったのと、そのツイートだけが記事にされてたので、その本質は文面とは違うンだろうなぁとも思う。京都のお茶漬けの話みたいなね。

 

まあすごく腹が立ったわけです。弱いものイジメだ!と。

 

とりあえず、「そんないじわるしなくとも…」とコメントを自分のFacebook上でやろうとして止まる。ツイートしたヤツと同レベになるなと思い止まる。

ンフーッと、鼻息荒くブラウザを閉じる。普段はそいつのツイートを辿ってちゃんと事実を理解しようとつとめるけど止めた。どこかに書き込むのもやめて、人に話しても「え?」ってなるし言わずに、イライラっとした煮え切らない感じを1人味わうことにした。すると久しぶりに、ネットもない頃にイラした時のこんな感じを思い出した。結構いい感じで、怒りを味わえたと思う。

 

物事の両面を見なければ理解したとはいえないと生きて学んだけど、万物を知った気でいた。ネットが生まれ、ネットの作り出す速度や環境に私が適応していくために学んだことだと思う。それは、私なのだろうか…。大袈裟に言うと感情までもコントロールされていたのではないかと思う。ある側面だけで沸き上がった感情を押さえつけ、スマートにもう側面を理解しようとし、結局「どちらも言い分があるんだなぁ」とかいって本人も押さえつけられた感情さえも「無」になってしまう。01010101....まるでオセロのようですね。

 

話を戻すと、nakedって単語がどーーも最近頭から離れないと思ったら今日のこの話に繋がったわけです。みなさんも、自分の感情を味わうのもいいですよ。自分を味わう感じ


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えいきょうされ過ぎー