クリードから学ぶ
さっき「クリード チャンプを継ぐ男」を観ました。
肩にタオルかけて涙ふくの大変な映画でした。注意★最後にネタバレ書いてます。
この映画を観て、よくゆう「相手を許す」という言葉の意味を分かりました。
相手を恨んで苦しいのは自分です、相手にとったらへでもないのです。相手を許す事が自分への解放に繋がるのですねぇ。でも、「なんでむかついてんのに許さないといけないわけ?!」となりますね。「許す」というのは「あなたのやったことを受け入れましょう、理由があったもんね…」や「しょうがない、無かったことにする」とか相手より精神高めてその位置で平伏す感じだと「無理して納得」しただけで、「許す」とは違うんですよ。本当の「許す」というのは、ただ自分と向き合うだけだと思いました。自分に目を向ける、しっかりと自分の肩を掴み目を合わせること、自分を大切にする、それだけ。映画の中でも鏡を見つめるシーンがありましたね。スポコンでありがちなやつです。まあ今の私が気づいたことだけであり、この先色々な出来事や違う解釈で考えも変わると思うけど忘れないように。私の考えが今のとこ正だとすると世間でまわってる「相手を許す」ってゆう一文だけでは、説明不足過ぎだよなぁ。もっと早く知ってもよかったなぁ。(理解力が乏しいー)
最後にネタバレって言うか、好きなとこ。
「止めないでくれ、証明する」
「何を?」
「俺は"過ち"じゃない」
しびれ~!